弊社の社名の合同会社ベルロックは、アメリカ、アリゾナ州にあるBELLROCKという岩山が由来です。

 

BELLROCKの話、少し昔の話にはなりますが、2009年にアメリカ横断の一人旅に出かけた時の話に遡ります。

 

 

西海岸のカリフォルニアのサンタモニカを出発して、東海岸のキーウエストとニューヨークを目指すレンタカーでの気ままな旅。

 

 

当時勤務していた横浜の自動車会社がリーマンショックに耐えきれず倒産し、社員一同会社から夜逃げ、というレアな経験をした後で、その時期は時間がたっぷりありました。

 

 

その旅の途中、あるインテリアショップで、アリゾナのフェニックスで全米最大のエコ関連の展示会が開催されるという話を聞き、面白そうだから観てみるかと、フェニックスから少し手前にあるセドナという街に立ち寄りました。

街のビジターインフォメーションセンターで、「僕がこの街で一日か二日間滞在するとしたら、あなたのお勧めはなんですか?」とセンターの白髪の女性に聞いたところ、「このエリアには4つのいい岩がありますよ」と、手描きの地図をプリントしたA4サイズを紙を一枚くれました。

そこに書いてあった岩の一つがベルロックで、おすすめされたなら、もちろん行きます。

その日はよく晴れた日で、11月とはいえ半袖とハーフパンツで近くの駐車場から30分くらい歩いてベルロックに向かいました。
ベルロックはまさにベルみたいな形をした赤茶色の雄々しい岩で、その雰囲気がカッコいいので登ってみようと思い立ったものの、ついさっきこの岩の存在を知ったくらいなので、果たして普通に登れるのかもわからないまま、岩の周りを歩いていました。

中腹より上に登るにつれ、どんどん岩は険しくなり、いよいよよじ登って登るしかない壁に到達した時に、どこを見回しても無人で自分一人の状況で、冷静に考えます。海外で一人、周りに誰もいない状況で岩から転げ落ちて怪我をする。これはアウトですね。

諦めようかとも思いつつ、なぜかその時は一度登ると決めたら絶対に登る、と決め込んでいて、よじ登ってはまた次の壁が来て、ああ、果たしてこれは降りられるのか?と何度も迷いながらの岩登りでした。せめて周りに誰かいたり、この岩山はある程度のスキルがあれば上まで登ることが可能、という前情報があったら全然楽だったと思いますが、僕が持っている情報はベルロックという名前くらいです。

とにかく、登るのか、止めるのか、信じるものは自分だけ、という状況でした。そんな、葛藤といくつかの壁を乗り越え、どうにか登り切った時の気分は最高でした。

無人をいいことに開けた景色に向かってシャウトしてました。本当の頂上にはあと5メートルくらい垂直の岩を登り切らないといけないのですが、ロッククライミングもボルダリングの経験もない自分に登れる岩ではないことは一眼で分かったので、流石にそれはやめておきました。

少し休んでから、その場所で生まれて初めての経験をします。その生まれて初めての経験とは、瞑想、です。
ここだー、という場所があったんです。ここは瞑想するしかないだろうという、大喜利の座布団の様なサイズの綺麗な岩が、切り立った崖の上にあるんです。そしてその岩のすぐ後ろに、3メートルくらいの木が生えているのですが、その木がいかにもアリゾナの木という感じで。


※ここまでの写真は2009年のもの

 

インドでブッダが菩提樹の木の下で瞑想して悟りを開いた、というのは有名な話ですが、多分ブッダがこの場所にいたら、この大喜利の座布団岩を選んだと思えるくらい、このシチュエーションだったら瞑想するしかない、と思えるほど完璧な状況でした。

 

瞑想の結果は僕の心に秘めておきますが、自分なりの一つの真理をみえた、とだけ書いておきます。この生まれて初めての瞑想が、その先の僕の人生を変え、今現在のこの道を進むことになるスタート地点となりました。

 

瞑想はすごい世界でした。
宇宙、というのでしょうか。
例えるなら、脳の思考が、通常地球の上を平面上で前後左右に自由に動くものだとしたら、平面という概念を捨てて、球体の内へ内へと進むような三次元の感覚の思考でした。 地球で例えるなら、地球の内核に向かって動けるようになった感覚、と言えば良いでしょうか。

 

二次元三次元、というと、普通に思えるのですが、感覚としてはもう一歩進んだ四次元で動けている感覚です。これは説明が難しいですね。聴覚や触覚は消え失せ、宇宙の中にポツンと浮いた様な感覚と、太陽の光に包まれている心地よさ、雑念のない思考を今でもよく覚えています。この感覚をいつでもどこでも持てるなら、怖いものなし、と今、書きながら思ってしまいます。

 

結果、その自分なりの真理を得た次の日に、キャンドル屋さんを見つけて自分用に土産を一つ買い、そこからまた、その自分なりの真理を元に4日間の思考を重ねた結果、今の道に進むことを決めることができました。

 

社名のベルロックは、その自分なりの真理を忘れるな、という思いがあるんです。そして2023年、ぽっかり予定が空いていた先日のGWにベルロックに行ってまいりました。

 

 

直前で取ったチケットだったので、帰り便が遠回りの経由便しか空きがなく、3泊6日という弾丸ツアーになりました。14年ぶりのベルロック。あれから幾分年齢を重ねたことや、仕事以外にこれといった運動もしていないことを考えると、ベルロックにまた登れるかどうか。もし登れなかったら、自分から自信を失うことになりかねない、という不安が少しあったのは事実です。

 

アメリカ滞在最終日の朝、ベルロックに登りました。
5月は新緑で人気の季節ということもあって想像より人が多く、駐車場も朝9時の時点で最後の一台での滑り込みで停められたくらいでした。

ベルロックも中腹より上まで登ると、案の定無人になりましたが、やはり一度登ったことがある、というのは大きな安心要素で、前回登ったルートとは違うルートでも、危なげなく登ることができました。もちろん過信はせず慎重に登っています。

結局、人は未知なものには不安を感じて困難を伴うけれど、一回経験したことは次からはもう簡単にこなせてしまうということでしょうか。それとも職業柄、脚立や梯子を使った高所作業はずいぶんこなしてきたので、登攀スキルが大幅に上がっていたのか、とにかく思っていたよりすんなり登れてしまいました。

もちろん頂上の岩はアタックすらしていません。
スキルを持ち合わせていないので。

自信を失うことにならず、よかったです。
上に登って、あの木も、あの大喜利座布団もあのままで、時間帯も当時と一緒で太陽の位置も下から吹き上げてくる風もよく晴れた空もそのままでした。

もちろん、またあの木の下で、人生二度目の瞑想もやってきました。

二度もこんな経験をさせてもらって、本当にありがたいことです。
僕にとってこれ以上リフレッシュできる場所はありません。

この場所に来ていなかったとしたら、今のお仕事についた可能性はゼロに近いはずです。一つの出会い、ひと時の体験が人生を変えるという経験は、そう滅多に起こるものではないと思います。本当に貴重な体験でした。

とはいえ滅多に起こるものではなくても、どこかのタイミングで、見えないものが見えたり、気づかなかったことに気がついたり、全く新しい概念が自分の中で生まれることはいつでも、誰にでも起こり得るはずです。

なので、自分にもまだ一度や二度くらいは、魂を揺さぶるような経験は今後も起こると信じていますし、そういうタイミングが来た時に、フラットな感性でそれを判断できるように心身ともに良い状態で過ごしたいものです。

 

ゆっくり2時間弱、座布団岩で過ごし、あの景色も風も太陽も、ばっちり目に焼き付け、下山です。

下山は14年前に登ったルートで降りました。
当時はこの程度の登りで恐怖していたのか、と恥ずかしく思う反面、そう思えるほど自分が衰えていなかったことに安堵しました。

ベルロックともう一つの大事な場所である、セドナの街のキャンドル屋さんも、元気に営業をされていました。

是非ともお話をしたかったのですが、店主は他のお客さんのオーダーを、熱心に説明しながらその場で作っておられて、さらに他にも待っている人がいたりしたこともあり、お話するのは断念しました。

その後はそのまま、ラスベガスまでの500キロをレンタカーで飛ばして、一旦ワシントンDCまで飛んで、そこからまた羽田まで飛んで、30時間くらいかけて移動して帰宅しました。ベルロック、遠いですね。

人それぞれに何かしらのルーツがあると思いますが、僕には、明確な形(ベルロックという岩)のルーツと、形のない概念(瞑想のアレ)としてのルーツの両方があります。毎年行くような場所でもないですが、また10年、15年後、元気に登れるよう、今後も気力、体力十分な状態を維持したいと思います。

https://visitsedona.com/japanese/

 

 

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